綺麗な女性リポーターから、「先生はどうしていつもシャツの袖をまくっているのですか?」と問われ、「腕が人並み外れて短いからです」と答えようとしたのですが、テレビカメラに緊張してただただ赤面していた
・・・・という夢を見て、朝からトホホな気持ちになりました。 こんにちは、吉良です。
今日は国語を教えるうえで気に留めていることを書きます。
まず、国語とほかの3教科との違いについて。
算数や理科・社会の学習は、出題者(問題自体)と生徒の間の「対話」が核をなすものです。
「対話」というと、違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、対話が続くということは、生徒の思考が続いている、つまり「理解している」ということです。 私たちの仕事は、対話を少しでも長く続けられるようにすることなのかもしれません。
一方、国語は「鼎談(3人で向かい合って話すこと)」です。生徒は、筆者の書いた文章と対話をし、その結論を自分なりにまとめることがまず必要です。一般的には、これを読解力と言います。ここで終わらないのが、国語の「キモ」。次に、生徒は問題作成者と対話しなければなりません。 メンドクサイですね~。
国語の問題って「私はAさんの書いたこの文章を、○○○と理解しましたが、あなたはどう考えますか?」という問題作成者を起点とする「鼎談」を続ける力があるかどうか・・・が問われているのだと思います。
では、この時期の国語の授業で私が意識していることは・・・というと、鼎談の前にまず対話!
これに尽きます。新年度はどの学年であれ文章レベルがキュッと上がり、まだスムーズに動けない生徒たちが多いのが例年のこと。日々活字に触れる時間がもっとあれば、とは思いますが、これはこちらが意図してもなかなかうまくはいきません。であれば、生徒たちに「対話」をさせたい! そして、「私は○○○と理解しました!」と自分なりに考えをまとめてほしいと思うのです。
というわけで、春の国語の私の中でのテーマは「対話」のお手伝い。
拙ブログをお読みのお母さま、お父さま。 お子さんが、文章とちゃんと対話できているかどうか探ってみるのって、結構面白いですよ。題材の選択についてお困りであれば、ぜひお尋ねください。
もうすぐ桜の季節です。